« 中央構造線をさぐる さいたま市編 | トップページ | 中央構造線をさぐる 長野県溝口(みぞぐち)露頭 »

2017年3月18日 (土)

中央構造線をさぐる 香取神宮・鹿島神宮編

今回書くブログ記事は、地質や石は脇に置いておいて、神社、神話、歴史という文系視線で見てみます。

前回の記事で、熊本から続いているであろう中央構造線が東までずーっときて、太平洋に抜けていく位置は不確かだと書きました。

グーグルの中央構造線マップでは、太平洋にぬけていく中央構造線の候補として、三本の線があがっています。

ネットで地質学の論文を読むと、どれもそれなりに一理あるみたいです。

私は素人考えで、真ん中の線、だと思っております。

下の図参照。

Photo

その理由は、いたって非論理的ですが、千葉県の香取神宮と、茨城県の鹿島神宮が二つでセットとなる、地を鎮めるための「要石(かなめいし」を持つからです。

20150524
こちらは、香取神宮の要石。石柱のすきまにちょこんと頭を出しているのが見えます。

地中深く埋まっているようです。

 

20150524_2
説明板を読むと、

「古伝によればその昔、香取、鹿島の二柱の大神は天照大神(あまてらすおおみかみ)の大命を受け、芦原の中つ国(あしはらのなかつくに。大和政権側ではない土着民族がおさめる日本国内の地域)を平定し、香取ヶ浦付近に至った。

 

しかし、この地方はなおただよえる国であり、地震が頻発し、人々はいたく恐れていた。

 

これは地中に大きななまずが住みつき、荒れ騒いでいると言われていた。大神たちは地中に深く石棒をさしこみ、なまずの頭と尾を押さえ、地を鎮めたと伝わっている」

などと書かれていました。

 

この古伝によれば、という説明板の文章は、古事記の冒頭の、日本では地震が頻発していたであろう記述との共通性がおもしろいです。

ちなみに古事記の冒頭は、

「このとき、大地はまだ若く、水に浮かぶ脂(あぶら)のようで、海月(くらげ)のように漂っていて、しっかりと固まっていませんでした」(竹田恒泰「現代語古事記」より)

と書かれています。

20150621
こちら側は茨城県の鹿島神宮側の要石です。写真真ん中の、へこんだ石が地中深く埋められているようです。

香取神宮と鹿島神宮の凸と凹がセットで、地を鎮めるということのようです。

 

関東一の大河川、利根川を間にはさんで、この二つの神宮はあります。

断層は地質的に弱線になります。特に中央構造線という、ユーラシア大陸の東のヘリの地殻(ちかく)と、太平洋をはるばる移動してきた地殻がぶつかり、しかも日本海が開き、数千万年に渡ってこすれ合ってきた中央構造線という巨大スケールの断層は、接する面の岩はぼろぼろに砕け、年月を経て粉々になり、柔らかいとても弱い地質の帯になるはずです。

そこは雨で浸食され、湿地になり、沼になり、やがて川になるはずです。

わたしの想像では、東関東の中央構造線は、茨城南部と千葉北部の最大の弱線であり、それが霞ヶ浦という巨大な湖を作り、利根川を有する低地になったと思います。

Photo

利根川はもともとは埼玉を通っていたようですが、縄文時代から大和政権のあったころのこの地域は、「香取の海」といって、太平洋とつながった、淡水と海水のまじりあう、内海のような地域だったようです。上の図は平安時代のころの香取の海(香取浦と書かれています)と、鹿島神宮、香取神社、そして中央構造線が近くを通る岩槻観測井の位置関係図です(千葉県立中央博物館大利根分館webより)。

地震の大もとの巣として多数の断層を周囲に発生させた中央構造線。

東関東の弱線の象徴である利根川流域の低地を、両側から挟み込む位置に、地を鎮める強い神宮を建て、要石を埋め込み、平穏を祈ったのではないでしょうか。

中央構造線を強い神社で挟み込む、というのは伊勢神宮の外宮と内宮でも出てきますので、あとでブログ記事にしたいと思います。

« 中央構造線をさぐる さいたま市編 | トップページ | 中央構造線をさぐる 長野県溝口(みぞぐち)露頭 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 中央構造線をさぐる さいたま市編 | トップページ | 中央構造線をさぐる 長野県溝口(みぞぐち)露頭 »