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2012年3月18日 (日)

講演の感想7 松居和氏の子育ての話

上尾商工会議所の聚正(しゅうせい)義塾3月講座は、子育てに焦点を当てて日本の将来に警鐘を鳴らす、松居和(まついかず)氏の話でした。

案内に書いてあったテーマが

「先進国社会における子育ての現状」

というものだったので、子育てを現実に控えたご夫婦や、今現在子育てに悩むご夫婦、あるいは保育・教育関係者向けのニッチな講演になるのではないか?と思っていました。ところが話は大きかった。この方は国士でした。国の将来を熱く考え、悩み、行動し、広く伝える、そういう方でした。

当日配られた資料に、松居氏のプロフィールが書かれていました。冒頭に、カルフォルニア州立大学の民俗芸術学科へ編入し、尺八奏者としてスピルバーグ監督の「太陽の帝国」などの映画にも参加・・・・・などと書かれていました。この三行を読んだだけでふつふつと興味がわいてきました。これはPTAじゃないぞと。



松居氏の30年もの米国生活で彼がかいまみたもの・・・それは、3人に1人の未婚の母の存在でした。そして母子家庭は社会から攻撃に晒されやすい。その対策として取られようとしている政策が、21歳以下の未婚女性が子供を生んだら全員を孤児院に入れよう、というもの。現在の大統領候補の一人、ギングリッジ氏が推奨している政策らしいです。その理由は国の財政でした。未婚の母から生まれた子供は犯罪率が高い。牢屋に入れると一人あたり年間1600万円のコストがかかる。孤児院に閉じこめた方が安く上がる、というのです。

お金の問題なのでしょうか?そこには幸福論がない、と松居氏は言いました。


松居氏は続けます。
人類は、0歳から3歳の赤ん坊を育てることによって、忍耐力を育ててきた。赤ん坊は、あるとき笑顔を見せる。必ず見せるときが来る。親はそこで、「自分はいいことをしている」という感覚を得ることができる。赤ん坊が泣けば、なんとか努力して泣きやんでほしいと思う。たいていは泣きやまない。無心になって抱くと泣きやむ。これが非言語コミュニケーション、非論理的コミュニケーションを育てた。子が親を育てたわけです。


集団で砂遊びしている4歳児たちが、実は完全なる人間なのではないか?と言われました。頼り切っている幸せがそこにはあると。親友とは、かけひきのない人間関係。砂遊びをしている幼児は親友に囲まれているとも言えるのでしょう。

また、コンビニの前で茶髪でたばこを吸っているような、いわゆる不良少年が、赤ん坊を抱くのが上手だったり、幼児の人気者になることあると。ハートが通じるのだと。幼児の人気者は宇宙の人気者。それまで社会からのけ者にされてきた少年は、赤ん坊を通じて宇宙から教えられる。


「生きているだけでいいんだよ」

と。



福祉が進めば、幼児虐待が増える、と言われました。松居氏は続けます。

保育園が、



「人」に預けるではなく、

「場所」に預ける

「システム」に預ける

にどんどんなっている。


国は、雇用のために保育士を大量に作り出そうとしている。そこに幸福論が無い。米国の教育界では、一生懸命やる人、感性の鋭い人ほど、精神を病んでやめていく。子育てのシステムに保育士の「幸福論」も関数として入っていない。「子育て」が「仕事」になった瞬間にハートのある人からやめてしまうのが問題になっている。


それでも日本はまだ奇跡的に救いがある。保育園の中には保育士魂を持った人がいる。どの赤ん坊も、初めて歩くときがくるが、それを保育士が見つけても、親には内緒にしておく。「もうすぐ歩けそうですよ」と。あるいは、保育園で一人でトイレが使えるようになっても、やはり黙っていて、親には、「もうすぐ一人でトイレが使えそうですよ」と言う。そうすることで、親が自宅でそれを自分が発見する喜びを体験してもらっている。



すると親は保育士に感謝する。その感謝によって保育士が育つ。やがて親は、一日保育体験で、うさぎの格好をして保育園を訪れる。すると他人の子供にも責任が芽生えてくる。これが部族というもの。頼れる人が他人にもいる、ということを知る。これが部族の絆なのだ。



松居氏は、「愛」の対立語はなんでしょうか?と問われました。

「憎しみ」でしょうか?

松居氏は言いました。

「違います」  「無関心なのです」

と。


自分の子供への無関心、他人への無関心が、社会、国への無関心に繋がっている。そこに、言葉や理屈の上での絆はあっても、部族の絆は無い。それは愛が無いということ、そう理解しました。



次に、うつについて話されました。



「自己実現」を重視する社会になった。「自己実現」は「自己責任」の世界。そもそも自己責任なんかは無理だ。それはやがて「自己嫌悪」に陥り、うつの原因になる。他己実現がいいのだ。他己実現には他己責任がついて回る。これが助け合いの精神、絆である。「絆」はもともと馬を縛る綱。縛られることに耐えることによって、守られ幸せも生み出される。


「夢を持て」とよく言う。これは、「欲を持て」=「勝て」ということ。


勝つことだけがいいこと、になると忍耐を受け入れる意欲がなくなる。結婚し、子育てをするということは忍耐を受け入れること。男が家庭を受け持つときに、社会でのパワーゲームを持ち込むと幼児虐待、女性虐待に繋がりかねない。フーテンの寅さんのように無欲で、無心でないと子育てはできない、赤ん坊は泣きやまない。昔話もなまけものの昔話が人気があった。松居氏は、主婦のうつや子育てノイローゼ、学校の先生のうつについて大変危機感を感じておられました。まずは親の健康、先生の健康を考えないといけないと。子供に毎日簡単なカレーライスばかり作ってしまい自己嫌悪に陥っている主婦に対して、1年半インドに滞在していた松居氏はこう答えたそうです。


「インドではずっとカレーです」と。


最後に塾生からの質問に答える形で、女性の社会進出について話されました。これはペテンであると。アダムスミスの「国富論」から次の言葉を引用されます。


「資本主義では、不安と不満をあおれば競争する」


女性に不安と不満をあおり、競争社会に取り込む。経済競争に参加させる、それが男女共同参画社会の隠された一面なのだということでした。



幸せのものさしをしっかり持っている女性であれば自分流にアレンジして上手に颯爽と乗り越えられるかもしれません。そうでないと、時代の空気、大きな気団のようなものに流されてしまうかもしれません。20年ほど前に、キャリアウーマンという言葉が流行りました。その前はOLですね。今、大きな会社で働く女性達は、「サラリーマン」と呼ばれつつあるらしいです。この表現はどうなんだろう?働き蜂と言われた男性サラリーマンにさや寄せするのがいいことなのか、どうなのか。幸せのものさしをどうとるか、結構大切かもしれません。



子育てに限らず、福祉のしくみから、幸福論が抜け落ちている、それが社会の力をどれだけ削ごうとしているか・・・・。私は講演を聴いている間、涙がにじむ時がありました。松居氏も後半、数十秒黙り込むことがありました。講師が涙をこらえて話す、強い印象を受ける講演となりました。ありがとうございました。

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